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謹賀新年&移転
あけましておめでとうございます。 今年はCSMのコースも無事修了し、AAにも入りg86にも参加しと、去年にも増し変化しつづけの1年でした。学校の方はなかなか殺人的な多忙さで、このブログも更新するとぬかしたものの結構停滞気味、、、でしたが学校にももう慣れたので今年からは、いや今からフットワーク量二倍で回転します、転がります。 そしてお手数ですがブログ移転します。 http://watarusawada.blogspot.com/今年もよろしくおねがいします。
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Kinetica Museum
 Hoxton squareで開催されているkinetica museumの展示に行ってきました。Kinetica Mueseumはいわゆるkinetic artを収蔵、展示するギャラリーです。kinetic artとは風、水、モーター、または観客の力を動力とするアート。要は動的(kinetic)なアート。 展示品は人間の手が駝鳥のようなリアルな動きをするTim Lewisの彫刻(上写真)や揺れ続ける鉄板をセンサーが感知してハンマーで時折叩いて波打つような音が出る作品など、はっきり言ってしまえば全く馬鹿げているようなものに思えるのだけれど、シンプルなメカニズムが何かしらの強い匂いを発している。 デュシャンの"Bicycle wheel"が最初のkineticな作品であり、ロシア構成主義においてkineticという言葉が最初に使われたとされているが、当時と今に置けるkinetic artの存在意義は大分違ったものになっているだろう。動的というキーワードだけで語るなら現代ならおそらくコンピューターを介せばもっとダイナミックでインタラクティブなものがもっと簡単に作れる。kinetic artの現代における存在理由のひとつにはメカニカルなものに対するセンチメンタルなノスタルジーがおそらくあるだろう。 スチームパンク的な作品の多くが単にスチームパンク的メカニズムの表層的な再現に終わっているところを見ると、それらの源が動的なメカニズムというよりはスチームパンクの表層的な部分に対するノスタルジー、フェティズムなのだと言えるだろう。では同じことがkinetic artに言えるだろうか。 僕にはそういったノスタルジーを超えて、kinetic artにはもっと根源的な楽しさがあるように思える。構造が瞬時に理解でき、かつそれが高度に複雑な振る舞いをする。そこには観察者の一貫した思考のフォローがあり、完全にその構造を理解できなくとも、大体の構造を思い浮かべ内部のメカニズムに思いを巡らすことができる。逆にコンピューターを使う時、プログラムの知識がない者はおよその中で行われている操作など理解しようもなく、全ての思考は断絶されコンピューターに丸投げされる。メカニズムの構造から動きまでの思考のフォローこそが観察者に喜びを与えるのではないだろうか。それこそが g86でインタビューした鈴木有理さんが言っていた明快なメカニズムの魅力なんだろうか。展示を見ていてそんなことを考えながら、隈研吾と養老孟司の対談で隈研吾のコンクリートには中に猫が入っていても分らないという話を思い出し、同時に日本建築の木組みの魅力にもそういった要素があるではないかと思いを巡らす。 ドバイの回転ビル。。。。は違う気がする。 【関連】 Kinetica Museum田中久重ーwikipedia
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Manifest Marathon @ Serpentine Gallery
サーペンタインパビリオンで開催されたマニフェストマラソン二日目に行ってきました。 アーティスト、建築家、デザイナー、作家などがそれぞれマニフェストを二日間に渡って朝から晩まで発表しまくるというイベントです。
一日目は参加しなかったのですが主なところではオノ・ヨーコ、ヴィヴィアン・ウェストウッド、ピーター・クック、ヨナ・フリードマンなど錚々たる顔ぶれ。最後のオノ・ヨーコの時は皆で踊ったらしい笑。
しかしそれらを蹴ってまで今日の二日目に参加した理由は、なんと言ってもあのレム・コールハースとブライアン・イーノが来るから!!!!
そう、レム・コールハースとブライアン・イーノが来るから!!!!!!!!
でも二人とも結局来ませんでした。
というかその二人だけ来ませんでした。 すっぽかすとは。。。。 £15もしたのに。
こら。
チャールズ・ジェンクスのレクチャーは面白かったので、 またレポートアップします。 いや残念。
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The Saatchi Gallery
 チェルシーに再オープンしたサーチギャラリーに行ってきた。サーチギャラリーは現代アート、特に若手のアーティストを中心にコレクションを続けるセンセーショナルなギャラリー。詳しくは wikipediaで。今回は中国現代アートのエキシビションで、いわゆる「中国的」なクリシェを使った作品は意外に少なくなかなか楽しめました。方力釣の作品を初めて生で見た。写真はZhang Daliの作品。 建物は元々兵舎だったをコンバージョンして使ってます。改築はPaul Davis+PartnersとAllford Hall Monaghan Morrisによるもの。旧兵舎と新築部の床の高さのずれ、旧兵舎の外壁の凹部に新築部が食い込んでいることによる「外壁」に囲まれた内部空間など、新築部と旧兵舎の境界に面白い風景が広がってる。  「外壁」に囲まれた内部  旧兵舎の中から  上の窓を「外」から  さらけ出された鉄骨や設備がシュッとしていてかっこいい。   H鋼が装飾的にアクセントとして使われている  H&deMのテート・モダン、フォスターの大英博物館など思えばロンドンで名建築と言われるものは現代建築と伝統建築の混ざり合った端境で多く生まれてる。 コンバージョンておじいちゃんがお洒落な若者服を着たみたいで、なんだか楽しい。 で、おじいちゃん。 最後の部屋はこんなおじいちゃんがわらわら沢山いてしかも皆動き回ってる。。。完全に楽しい。 ちなみにサーチギャラリーは入場フリーです。
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the garden
 AAのunit tripで、 デレク・ジャーマンの庭に行ってきた。 映画『The Garden』でも使われた庭だけど、HIVでこの世を去ったデレクが実際に晩年を過ごした場所でもある。Dungenessというイギリス南東の海を臨む岬にあって、原子力発電所と灯台がある。イギリスの風景としては大分特異な場所で、防風林はなく海からの相当強い風が吹きさらし半分砂漠のような荒涼とした土地である。 デレクの庭は彫刻や植木が鏤められていて、無機物も含め全てが愛情を持って"育てられた"ように思えてくる。そのどれもが日本の枯山水のようなシンボリックなもの。 一見、牧歌的で微笑ましい楽園のように思えるが、時折、一切の生気を吸い取ってしまうような恐ろしく殺伐とした廃墟のようにも思える双価的な感覚を抱く。 映画を先に見たせいもあるかもしれないけれど、とにかく死を想起せずにはいられない不思議な場所だった。
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g86 London
お久しぶりです。 今回、東工大4人組の project g86に参加することになり、g86 Londonという名の下、活動していくことになりました(一人だけど、、、)。色んな分野の人にインタビューする中でロンドン、東京を相対化して何か見出すことができればと思うとります。ロンドンをベースに新たな重力場を作りたい。 第一弾はロンドン建築教育事情ということで多摩美を卒業してそれぞれUCLバートレット、UELで建築を勉強している 仙石さん&橋村さんへのインタビューで、既に公開されてます。 今日は明和電機のアシストワークを経てRCAを卒業、現在ロンドンをベースにインタラクティブなプロダクトデザインをされている Suzuki Yuriさんにインタビューをしてきました。相当面白い話が聞けたのではないかと思ってます。近日中にupします。 英語でもインタビューしてロンドンの人にも発信出来得る内容にしていきたい。東京のメンバーともそのうちタイアップして何かできれば熱いんじゃないでしょうか。 AAも新学期が始まり、これから大分多忙になるけど、このブログもちょくちょくこれからアップしてこうと思ってます。はい。よろ。
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風景の解像力
昨日、JA第70号『風景の解像力 30代建築家のオムニバス』の連動企画のエキシビション+シンポジウムに受付要員として参加してきました。
エキシビション会場では藤村龍至さん、藤本壮介さんの暴力的なまでの模型群(!)と中村竜二さんや中山英之さんの繊細な模型、ドローイングの対比が面白い。
昨日のシンポジウムは乾久美子さん、長谷川豪さん、( この二人のレクチャーは受付してて聞けず。。)平田晃久さん、石上純也さんがプレゼン、モデレーターに藤村さんという今を煌めく豪華な面子。
平田さんは"sky"、"seed"、"pleats"そして"animated"をキーに明快なプレゼンで、屋根、柱、床という慣習的なものを取っ払って、一から秩序を作り出していてとても野心的である。 元来の壁を平面的に動かすようなグラデーション、グレーゾーンを扱えない方法論はまずいといい、内発的な生成原理(アルゴリズムといっていいだろうか)によってA、B、Cと専門性を最初から既定された空間ではなく、A、A'、A''といった互いに重なり合う部分を持つ空間が作れるのではないかという。 のちの対談でも若干火花を散らしていたが、慣習的なものの力を信頼してそれらを再構成して新しい空間を作ろうとする長谷川さんとの対比が面白い。
ひだが構造的に生成されるプロセスは明快であるが、そもそもの形態の必然性やそれが(単なる自然からの引用で終わるのではなく)人間とのどういう身体的関係があるのか点、空と人間の持つ'無関係の関係'が、すでに関係を持つ建築と人間の間に生まれ得るかという点については疑問が残ったが、同時に木に(木が望んでいなくとも)猿や昆虫など多くの命が宿るように、新しい空間では人間の新しい暮らしふるまいが生まれるのだろう、とも思う。(それが無関係性の関係ということだろうか。。)
続いて石上さん。 石上さんのプレゼンで興味深かったキーとして動き、そしてスケール感が挙げられる。 「点と点の間にある無限の具体的空間」「専門性のゆらぎ」「変形し続ける空間」という言葉や、模型の柱に移動した時間を分単位で書き込むことなどから分かるように動的、あるいは時間的なものに石上さんの感受性は強く反応するようだ。 藤村さんも石上さんと平田さんを動的というキーワードで結びつけていたが、その二人の「動的」の違いをあえていうなら平田さんの建築は動的のプロセスで作り出されているものの最終的なアウトプットは切断された不動的なものであるのに対して、ベクトルをそのまま建築にしたように石上さんの建築はアウトプットが四角い風船のように本当の意味で動的であるか、もしくは神奈川工科大の工房のように見る主体の動きによって刻々と建築が変化する点であろう。
そしてもうひとつ興味深いのは石上さんの持つ独特のスケール感だ。プレゼンを聞いていてガリバーになったような、もしくは本城直季の写真を見ているような感覚に陥る。コップや模型を覗いてそこに広がる目の前の空間を、実物だと思い込むのではく小さい建築として捉えるのだという。風景のような建築、建築スケールの環境という言葉も興味深い。
その後の対談で興味深かったのは慣習や歴史、建築のヒエラルキーに対するコミットメントの姿勢について。 JA編集長の橋本さんも“慣習評価性の零度”という言葉を使っていたが、思ったのはこの世代では既に慣習などといったものに対する偏った拘泥感が無いのだなということ。だが当然それは「白いエクリチュール」が実際には存在し得ないように、彼らが慣習から完全に解き放たれた存在というわけではなく、それぞれの慣習に対するコミットメントの仕方が時代感や世代といったものに拘束されることが無くなったということである。この展覧会で全く異なる「高解像度の眼」を持つ8人が一同に会している状況がそのことを如実に表しているのでないだろうか。
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